もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。
もし全うされることがレビ系の祭司制によって可能であったら――民は祭司制の下に律法を与えられたのであるが――なんの必要があって、なお、「アロンに等しい」と呼ばれない、別な「メルキゼデクに等しい」祭司が立てられるのであるか。
このようにして、一方では、前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、
では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。
ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
わたしはただあなたがたとだけ、この契約と誓いとを結ぶのではない。